気軽に大人の絵画教室06

世の中は曲線で出来ている

始める前に確認して置きたいことがあります

前回、皆さんに箱の絵を描いて頂き、それがどの様な状態であったか確認してもらいました。④の絵が一番それらしい。また、描く途中で物と絵を並べて見比べると良い、と言うような判断基準を匂わせました。しかしこれは、飽くまでも本物になるべく似せて描くという前提においての事です。私の素直な判断基準(好きかどうか、という基準です)では⑦が一番人間らしく、また美しく、良いと思います。私には描けない、描こうとするとわざとらしくなるので、羨ましく思ったりします

ブログ「気軽に大人の絵画教室」の冒頭で、絵は落書き、自分で良いと思えば他人の評価など気にするな。このように主張しております。ところがです、間違った美術教育の結果なのか、皆さん写真の様な絵が描けるようになりたい、とおっしゃる。これが上手な絵、なんですよね。上手な絵が良い絵(私が美しいと心うごかされる絵、私が好きな絵、と言うだけの事です。勿論)とは限りません。物を描かない絵も有りますし、絵などの見える物を主体としない美術というか芸術活動というかそんなものも有ります。上手な絵を描くことが、そんなに大事なこととは思えません

「気軽に大人の絵画教室」を始めるにあたって、教室に来られる方の、やりたいことを達成するためのお手伝いをする。私に出来ることは限られているので、出来ないことに対しては一緒に勉強させて頂く。このように運営しようと考えました

今は未だ、鉛筆で物をそっくりに描く練習をしていますが、沢山の絵を描くうちに、それぞれの方の好きな絵や、やりたい事が定まり、それぞれ独自の評価基準が形成され、それぞれの固定観念を打ち破り自由な絵を描けるように、楽しめるようになって貰いたい。偉そうなことを言ってますが、私もそうなりたい

 

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透視図法

遠近感の話です

遠近感の一つに、遠くの物は小さく見える、というのがありました

平行線というのは、同一平面上で決して交わらない線、な訳です。前回、箱の実際は平行である辺を絵に於いては平行に描いちゃいけない、なぜなら、遠くの物は小さく見えるのだから、という説明をしました

この実際は平行なのに平行に描かなかった直線をずーっと伸ばしていくと、平行じゃないのでどこかで交叉します。この交叉した場所を、透視図法で消失点といいます。この消失点の数によって1点透視図法とか2点透視図法とかいいます。前回の箱は3点透視図法です

でもちょっと待って下さい。前方にずーっと真っ直ぐ続く線路を考えて見ましょう。線路はどこか遠くの方で交叉して見えるでしょうか?線路の幅は限りなく狭くなり、幅が識別出来なくなるでしょうが、交叉してまた広がっていく事は無いでしょう。ただ、地平線(見る人の目の高さの視界における抽象概念、目の高さで水平に伸びる直線)より上に伸びる事は無いので(線路が見る人の目より下の位置にある想定です)、一本になってしまった線路は地平線とくっついた所(勿論、これも交わりません)で収束します。線路の真ん中に立っていれば、正面の位置になります

生活空間である部屋の中で検証してみましょう。椅子に座って一つの壁面の真ん中に正対します。その壁と接する天井、床とで形成される平行線を考えます。真っ直ぐ正対しているので平行に見えます。壁の高さは、236センチでした。壁の右奥でも左奥でも236センチのはずです。では、真っ正面の見た目の高さを1とすると左右の奥の壁の高さは1より小さく見えているはずです。件の平行線を左右にずーっと伸ばすと目の高さ(120センチでした)の水平線の遙か彼方で収束します。同一の水平線を弦とする上下二本の弧の様なものが見えているということです

 

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部屋の中です

つまり、直線のものを、定規を当てて真っ直ぐ描いてはいけない。定規を当てて良いのは概念上の水平線と正面にある垂直線だけという事になります。実際の水平線は地球が丸いので、どうしても地球に沿った曲線になります

とは言え、実際の物は直線なのだからと、定規を当てて描くと、説明図のようになるので、それがいやなら気をつけた方が良い、という程度の事です。直線っぽく見える物をフリーハンドで描くと直線っぽく見えなくて困るという場合は、定規で当たりを書き、正面の垂直線、目の高さの水平線との上下左右の位置関係を考えて弧にすれば、それらしくなりそうですが、そんなことより見えるままに、写実でなければ感じるままに描きましょう

 

今回は回りくどい遠近感の説明になってしまいました。結論が「見えるままに描け」ですからね。困ったもんです。次回は描きます